積み重ねて新境地

関係ないことしれっと多め

感性は様々だけど…

□頭は良くはならない

漢検の勉強を始めてから、日本語能力の低さとノリで生きているなぁと思う瞬間に多々でくわすようになりました。

 

 

例えば、私は本を読むのが好きですが、本によっては普段会話では聞いたことのない言葉が出てくる時があります「憤り」「我見」「劣情」「厭世」「惨憺」等々、割とたくさんあるんですが、私はそれを全てノリで読んでいました。

 

 

かといって、読みが全く違うと言うことはなく、ただその言葉の本質の意味を理解していませんでした。

 

 

小説で初めて「憤慨」が出てきた時も、画数多いからかなり怒ってると勝手に思い「我見」を初めて観たときも

 

 

「われみ?…いやその読み方はだせぇ!がけんだな!」

 

 

と調べることなく読み進めたクチです。結果合ってはいたけど、言葉の読みをフィーリングや、ださいださくないで決めてる辺りが雑すぎる。

 


しかし、後々に「この読みは合っていたんだな」と思うことも多いので、このフィーリングは恋愛よりも上手く読めているのも確か。

 

 

とは言え、それはあくまで私の中の語彙力からうまく引っ張ってこれた場合な訳で、読みの替えが見つからない時は悲惨です。

 

 

例えば「具に(つぶさ)」を私はずっと「ぐに」と読んでいました。今となっては、私の中のだせぇセンサーが何故「ぐに」を採用したのか教えてほしい。

 

 

それに「漸く(ようや)」に至っては未だに「おののく」と読んでしまう。それは別に違う言葉があるし、なんなら、慄く、戦くと同音異義語が2つもある位なわけで、おののくの大渋滞です。多分おののくが一番おののいてる。

 

 

と、まあ、こんなように私は漢検を始めてからというものの己の認識のいい加減さを知る機会がとても増えて、喜ばしいのか悲しいのか反省する日々が続いてるわけなんです…が、

 

 

 

 

先ほど、次の遊び場所を決める電話で発した友人の

 

 

 

 

 

「築地」を「ちきじ」と読んだ衝撃度が遥かに私を上回っていたので、実はそんなに反省しなくていいのかもしれません

(類は友を呼ぶ)